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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(あ)789号 決定 1980年6月11日

本籍

東京都三鷹市井の頭三丁目三四一番地

住居

同 井の頭三丁目一四番三号

弁理士

浅村成久

明治三五年一〇月三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五四年三月一九日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人三木今二、同大塚正民の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

○昭和五四年(あ)第七八九号

被告人 浅村成久

弁護人三木今二、同大塚正民の上告趣意(昭和五四年六月一四日付)

第一点 原判決には、いわゆる故意に所得を隠匿する行為の認定において、判決に影響を及ぼすべき審理不尽ないし理由齟齬の違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一、弁護人がすでに第一審以来くりかえし主張している如く、そもそも本件において(事実の存否はともかくとして)所得税法第二三八条にいわゆる「偽りその他不正の行為」として考察されるべきものはいわゆる架空経費の計上に限られるべきものである。すなわち、第一審における検察官の冒頭陳述書に「架空経費の計上の主なもの」として掲記されている(イ)ないし(ヘ)の合計六個の行為に限られるべきものである。しかも右六個の行為の中、本件においては、結局において、(イ)その他直接費の計上、(ニ)未払金の計上(ただしラグナー関係に限る)、および(ホ)印紙料の計上(ただし架空ないし水増計上分に限る)のみが「偽りその他不正の行為」に該当すると認め得べきものであることも、弁護人が第一審以来主張しているところである。

二、ところで、第一審における検察官の冒頭陳述書に「架空経費の計上の主なもの」として掲記されている(イ)ないし(ヘ)の合計六個の行為は、第一審における検察官の釈明(昭和四九年一月一七日付釈明書)によれば、「被告人が過少申告を行なうための手段として採った不正な行為である架空経費計上の方法を例示したものである。」とのことであった。そして同じ検察官の釈明によれば、本件における所得税法第二三八条にいわゆる「偽りその他不正の行為」とは、「被告人が行なった過少申告そのもの」であるとのことであった。

三、第一審判決は、右の検察官の主張を全面的に肯定し、次の如く判示した。「当裁判所は、真実の所得を隠ぺいし、それが課税対象となることを回避するため所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為は、それ自体所得税法二三八条にいう『偽りその他不正の行為』に該当するものと考える。‥‥(中略)‥‥ことさらな過少申告行為によって所得税を免れた場合、免れた税額は、ほ脱犯の実行行為である過少申告行為と相当因果関係にある税額であり、それは正規の税額、すなわち税務会計の原則に従って仮装隠ぺいの経理処理部分、誤算、不注意等の経理ミスを修正して算出しなおした正規の所得税額と、過少申告によって申告納付した税額との差額であると解すべきである。」

四、これに対し、原判決は、次の如く判示して(原判決三枚目表終りから二行目より四枚目表初めから七行目まで)、第一審判決を破棄した。「所得税逋脱犯は、故意犯であるから、犯罪が成立するためには、故意すなわち、脱税の認識を必要とするが、その認識は、逋脱金額がいくらであるか、あるいは、逋脱金額の計算の基礎となる所得について、いくら所得を圧縮したかについての具体的な金額までを認識する必要はなく、また、同犯は、一年度間における所得税の逋脱をもって構成する単純一罪であるから、必ずしも、各勘定科目ごとに個別的な脱税の認識があることを要しないものと解すべきである。しかしながら、所得税逋脱犯の故意が、右のように具体的又は個別的な脱税の認識である必要がないというのは、免れた全税額につき全体として脱税の認識が認められれば足りるという趣旨であって、故意に所得を隠匿する行為とは無関係に生じた収入の過少記載又は経費の過大記載によって生じた所得の過少申告分をも包含する趣旨に解すべきではない。従って、右のような所得の隠匿行為とは無関係に生じた誤記、誤算又は不注意や思い違い等に基づく過少申告によって免れた所得税額は、所得税法二三八条にいう『偽りその他不正の行為』により免れた所得税額には含まれないと解するのが相当である。」

五、ところで、原判決にいう「故意に所得を隠匿する行為」とは、本件の場合、「被告人が行なった過少申告行為そのもの」でないことは明白である。そうかといって、弁護人の主張の如く、(イ)その他直接費の計上、(ニ)未払金の計上(ただしラグナー関係に限る)、および(ホ)印紙料の計上(ただし架空ないし水増計上分に限る)のみと判示している訳でもない。結局、原判決がいうところの「故意に所得を隠匿する行為」とは、次の如き経費項目を計上した行為を指すことになると考えられる。

(一) 昭和四四年分について(原判決添付別紙第一の修正損益計算書を参照)。

<6> 交際費 八、〇八九、八〇〇円

<19> その他直接費 七八、四五〇、〇〇〇円

<27> 公租公課 二、五七二、三五〇円

<28> 印紙料 二二、二八二、三五〇円

<38> 支払手数料 八二、三〇七、三二一円

<45> 未払費用(未払金) 一五、三九二、一八四円

(二) 昭和四五年分について(原判決添付別紙第二の修正損益計算書を参照)。

<19> その他直接費 四、五五〇、〇〇〇円

<28> 印紙料 一、八二六、六一五円

<38> 支払手数料 七二、七〇〇、三五五円

<45> 未払費用(未払金) 一〇、二一〇、一〇六円

<47> 什器備品費 三、二四〇、〇〇〇円

(三) 昭和四六年分について(原判決添付別紙第三の修正損益計算書を参照)。

<28> 印紙料 一、五三四、四一〇円

<37> 支払手数料 六四、三六二、四一九円

<44> 未払費用(未払金) 一八、九二三、七五七円

六、ここでまず注意すべきことは、すでに控訴趣意書においても述べた如く(控訴趣意書八枚目表初めから三行目より八枚目裏初めから二行目まで)、もし過少申告一般をもって「偽りその他不正の行為」としない立場に立つとすれば、一般に逋脱所得となるべきものは、次の二種に分類さるべきである。すなわちその一つは、「納税者がその国税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたとき」に当該納税者に課される重加算税(国税通則法六八条)の対象となるべき逋脱所得(いわゆる重加算税対象所得)であり、他の一つは、かかる逋脱行為の存在によって当然に喪失すべきことが予期されている青色申告上の特典の取消しによる所得(いわゆる青色申告取消益)である。前者は、まさに「故意に所得を隠匿する行為」によって生じた逋脱所得であり、後者は、すでに御庁の確立した判例によって、逋脱所得に含まれるべきものとされているものだからである。この観点から本件を見ると、前者に属する逋脱所得は、税務当局が、昭和四四年分、昭和四五年分および昭和四六年分に関して、重加算税を賦課したものということになり、後者に属する逋脱所得は、貸倒引当金および退職引当金などのいわゆる引当金の戻入益ということになる。後者については、被告人はすでに認めているところであるから、問題は前者に限られる。ところで弁第一号証の一および二、弁第二号証の一および二、ならびに弁第三号証によっても明らかな如く、税務当局によって、被告人が「隠ぺい又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していた」と認定されたもの、すなわちいわゆる重加算税対象所得とされたものはつぎのとおりである。

(一) 昭和四四年分について。

<19> その他直接費の全部 七八、四五〇、〇〇〇円

<28> 印紙料の一部 二一、五〇〇、〇〇〇円

(弁第一号証の一の分) 小計 九九、五五〇、〇〇〇円

<27> 公租公課の全部 二、五七二、三五〇円

<38> 支払手数料の全部 八二、三〇七、三二一円

<45> 未払費用(未払金)の一部 三、六〇〇、〇〇〇円

(弁第一号証の二の分) 小計 八八、四七九、六七一円

(二) 昭和四五年分について。

<19> その他直接費の全部 四、五五〇、〇〇〇円

(弁第二号証の一の分) 小計 四、五五〇、〇〇〇円

<38> 支払手数料の全部 七二、七〇〇、三五五円

増加分(注一) 三、〇〇〇、〇〇〇円

減少分(注二) 二八、八〇〇、〇〇〇円

(弁第二号証の二の分) 小計 四六、九〇〇、三五五円

(三) 昭和四六年分について。

<37> 支払手数料の一部 六四、三六二、四一九円

(弁第三号証の分) 小計 六四、三六二、四一九円

つまり、本件の事実関係を詳細に調査した税務当局が「隠ぺい又は仮装したところに基づき納税申告書を提出した」と認定したものは、本件で最も争いのある「支払手数料」を別とすれば、(イ)その他直接費の計上、(ニ)未払金の計上(ただしラグナー関係に限る)、および(ホ)印紙料の計上(ただし架空ないし水増計上分に限る)のみであることに注意すべきである。つまり税務当局の認定は、「支払手数料」を除けば、弁護人が第一審以来主張している「偽りその他不正の行為」の範囲と全く同一なのである。

(注一)第一審における検察官の冒頭陳述書によると、昭和四五年四月分の支払手数料の合計額として申告されている六、一一〇、〇〇〇円は本来の元帳合計額三、一一〇、〇〇〇円より三、〇〇〇、〇〇〇円水増しされている、とされる。

(注二)同じく第一審における検察官の冒頭陳述書によると、昭和四五年度の期首に計上されていたラグナーの架空未払金二八、八〇〇、〇〇〇円が期末に全額消去されているため、同額だけ、逋脱所得が減少している、とされる。(この点は、後記上告理由第三点に関連して後に詳述する。)

七、本件の事実関係を詳細に調査した結果、次々と重加算税の賦課を行なった税務当局(昭和四四年および昭和四五年分については、わざわざ同じ年度分につきそれぞれ二度にわたる賦課決定を行なっていることに注意すべきである。)の右の如き認定を念頭におきつつ、原判決が「故意に所得を隠匿する行為」と認定したと考えられる前記の各項目を個別に検討して見よう。ただし、本件の最大争点である「支払手数料」および「公租公課」については、後記の上告理由第二点において、「その他直接費」については、後記の上告第三点において、それぞれ詳述するところに譲ることとして、ここではその余の項目についてのみ検討することとする。

(一) まず昭和四四年分の<6>交際費について、原判決は次の如く判示している(原判決一九枚目裏終りから三行目より二〇枚目裏初めから三行目まで)。

「被告人は、昭和四四年分の所得に関し、交際費四〇五〇万三九二二円を経費として公表計上しているが、その内には、事業経費となし得ない被告人の個人的な交際費等を含む使途不明出金八〇八万九八〇〇円が含まれているが、被告人の事務所の経理担当責任者である大津においては、被告人の使う金は、とりあえず事務所の仮払として支払っておき、あとで事業に必要なものとそうでないものとを区別して清算する建前をとっていたところ、被告人は、昭和四四年ころの被告人の収入が激増したことから、事業に関係ない支払が含まれていることを知りながら、これを含めて交際費として公表計上したのであり、このような経理処理の方法が許されないことは、十分承知のうえ、専ら経費の過大計上によって、被告人の所得を圧縮する手段としてなしたものであるといわざるを得ないのである。」

しかしながら、ここで注意すべきことは、次の二点である。すなわちその第一は、第一審における検察官の冒頭陳述書にも明記されている如く、この交際費八、〇八九、八〇〇円は、「公表の交際費のうち使途不明出金交際費(事業経費としえない被告人の個人的な交際費等を含む)として否認した金額である。」ということである。すなわち、全額ではなく一部のみが被告人の個人的な交際費なのであって、その余の使途不明出金は単に使途を明らかにしえなかったが故にその経費性を否認されたに過ぎないものであって、もしその使途が明らかにされたならば、あるいは事業経費となりえた筈のものも含まれているのである。そもそも被告人の如き個人事業経営者の場合、ある交際費が事業経費となるべき性質のものか否かの判定は極めて微妙であって、税務当局によって経費性を否認されたことが、直ちに税の逋脱にむすびつくものではない。その第二は、この交際費八、〇八九、八〇〇円はいわゆる重加算税賦課の対象とされていないということである。つまり税務当局は、その経費性は否認したものの、これをもって「隠ぺい又は仮装の一態様」とは認定していなかった訳である。

(二) つぎに昭和四四年分ないし昭和四六年分の<28>印紙料について、原判決は次の如く判示している(原判決二二枚目表初めから二行目より二二枚目裏初めから六行目まで)。

「被告人が経費として公表計上した印紙料についてみると、いずれも原判決が被告人の逋脱所得と認定した金額、すなわち、昭和四四年分に関する二二二八万二三五〇円のうち二一五〇万円については、前記『支払手数料』の水増計上について判示したような経緯から、被告人の指示を受けた大津において、被告人の所得を圧縮すべく水増計上したり、架空計上したものであって、所得圧縮のための過大経費の計上であることが明らかであり、同年の残りの七八万二三五〇円は、同年中に使用されていない印紙分であり、また、昭和四五年分に関する一八二万六六一五円、昭和四六年分に関する一五三万四四一〇円も当該年度中に使用されなかった印紙の合計額であって、所得圧縮の手段としての過大経費の計上であると認められる。」

たしかに昭和四四年分の印紙料計上額二二、二八二、三五〇円の中、二一、五〇〇、〇〇〇円の架空ないし水増計分については、重加算税の対象となっており、被告人としても第一審以来これを逋脱所得と認めてきたところである。しかし、その余の七八二、三五〇円は単なる期間帰属に関する見解の相違にもとづくものであり、従って重加算税の対象とはなっていない。

また第一審以来くり返し主張している如く、被告人は昭和四五年二月一四日のいわゆるラグナー関係の「その他直接費の計上」を最後に、一切の不正経理を意識的に廃止したものであって、昭和四五年分および昭和四六年分の印紙料の計上には、いわゆる架空ないし水増計上は全く存在しない。これら両年度の印紙料は、単なる期間帰属に関する見解の相違にもとづくものであり、従って重加算税の対象となっていないことに注意すべきである。

(三) 昭和四五年分<47>什器備品費について、原判決は次の如く判示している。(原判決二二枚目裏終りから五行目より二三枚目裏初めから二行目まで)。

「被告人は、昭和四五年分の所得に関し、経費として、什器備品費勘定科目において、三七八万一三三〇円を公表計上したが、そのうちには被告人が同年五月三〇日株式会社ヤナセから購入した自動車(ベンツ)の代金三二四万円が含まれているところ、右支出は、事業用固定資産の取得に要した費用であって、減価償却されるべき費用である。しかるに、被告人は、同年度においては、これを右のような経費として公表計上しながら、翌昭和四六年において、減価償却費として公表計上した三七六万九五七五円のうち、右車輌の減価償却費として四三万三二六〇円を組入れていることが認められるのである。そうだとすると、被告人は、昭和四五年分に関する右車輌購入に要した費用が減価償却されるべきものであってそれが什器備品費という勘定科目で経費として計上することが許されないものと知りながら、あえてこれを経費として計上したものと推認せざるを得ないのである。」

原判決の右の判示は、いわゆる理屈にすぎず、なんら証拠にもとづいた認定ではない。そもそも帳簿を一見すれば直ちに判明するようなやり方で「故意に所得を隠匿する」ものであろうか。一体全体いかなる証拠にもとづいて原判決はかかる認定をしているのであろうか。理解に苦しむ。本件の事実関係を詳細に調査した税務当局は、現にこれを重加算税の対象とはしていないのである。

(四) 昭和四四年分ないし四六年分の未払費用(未払金)について、原判決は次の如く判示している(原判決二〇枚目裏終りから五行目より二二枚目表初めから一行目まで)。

「大津は、前記認定のように、被告人から昭和三一年ころ架空、水増経費の計上などの指示を受け、その具体的方法を検討した末、米国ラグナー弁理士事務所に対して実際には米国での工業所有権の出願手続を依頼した事実は全くなかったのに、同事務所へ出願手続を依頼し、これに対する手数料を送金した形式で出金伝票を作成して記帳し、被告人にその出金相当額を現金または貸付信託などにして渡したうえ、決算において、これを『その他直接費』あるいは『未払金』の勘定科目で架空経費を計上していたものである。ところで、昭和四四年分について、被告人が未払費用として公表計上した二八五〇万六九四八円のうち三六〇万円は、右のラグナー弁理士事務所への架空送金分であり、一一七九万二一八四円は、大津において外国の弁理士からの被告人宛請求書に基づき未払金明細書を作成し、一年間に増加した未払金を、それに対応する収入金額を確定することなく、そのまま経費として計上したものであり、被告人が未払費用として公表計上した昭和四五年分の一億二三一九万四三八九円のうち一〇二一万〇一〇六円、同じく昭和四六年分の三七一四万六一九六円のうちの一八九二万三七五七円も右と同様、被告人の未確定収入金額に対応する未払金をそのまま経費として計上したものである。もともと、必要経費は、収入金額を得るために直接に要した費用等であるから、未払金をこれに対応する収入金額と関係なく費用として公表計上することは、専ら、経費の過大計上によって、被告人の所得を圧縮する手段に外ならないといわざるを得ないのであって、単なる会計原則の誤解や経理上の誤謬等に基づくものとは認められない。」

たしかに昭和四四年分の未払費用(未払金)の中、ラグナー関係の三、六〇〇、〇〇〇円については、重加算税の対象となっており、被告人としても第一審以来これを逋脱所得として認めてきたところである。しかし、その余の一一、七九二、一八四円は単なる期間帰属に関する見解の相違にもとづくものであり、従って重加算税の対象とはなっていない。また第一審以来くり返し主張している如く、被告人は昭和四五年二月一四日のいわゆるラグナー関係の「その他直接費の計上」を最後に、一切の不正経理を意識的に廃止したものであって、昭和四五年分および昭和四六年分の未払費用(未払金)の計上には、いわゆる架空未払費用(未払金)の計上は全く存在しない。これら両年度の未払費用(未払金)は、要するに単なる期間帰属に関する見解の相違にもとづくものであり、従って重加算税の対象にもなっていないのである。加えて、昭和四五年分の未払費用(未払金)に関しては、つぎの如き注目すべき事実がある。すなわち、現に、第一審における検察官の冒頭陳述書において述べられている如く、昭和四五年の期首に計上されていた二八、八〇〇、〇〇〇円のラグナーに対する架空未払金が、同年の期末にはその全額が消去されている、という事実である。つまり、昭和四五年分に関するかぎり少なくとも「未払費用(未払金)の計上」という行為による所得隠匿の結果は、全く発生していないこととなるのである。

八、以上検討した結果をまとめると、次の如くである。

(一) 第一審判決は、本件における「偽りその他不正の行為」とは「被告人が行なった過少申告そのもの」と判示したが、原判決は、この第一審判決の判示を否定した、と考えられる。

(二) 原判決は、本件における「偽りその他不正の行為」とは「故意に所得を隠匿する行為」と判示したが、その具体的内容は、昭和四四年分については、<6>交際費、<19>その他直接費、<27>公租公課、<28>印紙料、<38>支払手数料、<45>未払費用(未払金)を経費として計上した行為、昭和四五年分については、<19>その他直接費、<28>印紙料、<38>支払手数料、<45>未払費用(未払金)、<47>什器備品費を経費として計上した行為、昭和四六年分については、<28>印紙料、<37>支払手数料、<44>未払費用(未払金)を経費として計上した行為、をそれぞれ指すものと考えられる。

(三) しかるに原判決は、原審において特段の事実調べもなく、かつ、これといった証拠もないのに、本件過少申告の原因となった種々の行為をいうところの「故意に所得を隠匿する行為」と「そうではない行為」とに分類した。

(四) この原判決による分類は、本件の事実関係を詳細に調査した結果にもとづいて重加算税の賦課を行なった税務当局の認定とも異なっており、しかも、その異なる理由は全く不明である。

九、以上要するに、原判決には、判決に影響を及ぼすべき審理不尽ないし理由齟齬の違法があるというべきであり、到底破棄を免れないものと信ずる。

第二点 原判決には、いわゆる支払手数料の性格の認定において、判決に影響を及ぼすべき審理不尽ないし理由齟齬の違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一、原判決は、本件における支払手数料(昭和四四年分については公租公課を含む)の性格について、第一審判決と事実上全く同じ理由づけで、この点に関する控訴理由を斥けた上、つぎの如く判示している(原判決一八枚目表初めから六行目より一八枚目裏初めから六行目まで)。

「なるほど、大津及び被告人は、原審公判廷において、右支払手数料の経費計上が、合法的節税方法の一つであると信じていた旨所論にそう供述している。しかしながら、右各供述は、前記認定の事実及び被告人の検察官に対する昭和四八年二月一九日付供述調書中で被告人自身、右のごとき支払手数料を支払う形式をとることにより、被告人の所得が減るものの、逆に皓らの所得が増えることになるが、累進税率の関係で、被告人の支払の所得税の総額が減るので、いささか気がとがめる思いをしながら、右のような架空の経費を計上することにより得た金を被告人の事務所の基金の一部として蓄積していた旨供述していることに照らして、にわかに措信することはできないのである。」

二、つまり、原判決によれば、大津および被告人の第一審公判廷における供述は、それ以前になされた被告人の検察官に対する供述に照らして措信しえないという訳である。しかしながら、すでに控訴趣意書においても指摘した如く(控訴趣意書一〇枚目裏終りから八行目より一一枚目裏初めから一〇行目まで)、本件査察時つまり昭和四七年三月よりも四年余りも前の昭和四三年八月一五日に、大津が当時の世田谷税務署員であった家森賢道に対し、小沢慶之輔に支払われた本件支払手数料の性格について説明した内容を、右家森は次の如く記録しているのである。

「昭四一年分迄は給料のみであったが、四二年からは所長の所得が極めて大きくなったため納付税額も多大となり、これを分散する手段として本人および浅村成久の次男皓(副所長)に約三、六〇〇万円に、それぞれ分散した。」

この内容は、大津自身の説明そのものではないとしても、少なくとも、大津が当時、本件支払手数料の支払を合法的節税方法であると信じていたことを明白に示していると考えられる。つまり大津および被告人の第一審公判廷における供述は、この大津の家森に対する説明内容に照らして措信できるのであり、逆に被告人の検察官に対する供述こそは、それ以前になされた大津の家森に対する右説明に照らして措信しえないのである。

三、そもそも弁護人がすでに第一審以来指摘する如く、本件支払手数料の支払が、結局において、真に合法的な節税方法であるか否かについては論議の存するところである。たとえば、金子宏教授が次の如く述べていることは極めて示唆的である。(「企業課税の諸問題」租税法研究第四号一一六頁)。「所得税法の解釈上、夫と妻とが組合契約を結ぶとか、あるいは家族一同が組合契約を結ぶということによって所得分割をすることが可能なのかどうかという問題について、かねてより疑問をもっておりまして、解釈論としてはそういう問題もあるのではないかと考えております。」とくに本件の場合は、次の如き特殊事情がある。まず支払手数料が支払われたのは、すべて「弁理士」であって、「家族一般」ではなく、とくに次男皓の場合、大津も述べている如く、「皓さんがほとんど事務所の中心として他の人の八人分位働らいており、皓さんなしでは浅村事務所の活動は考えられない」(同人の検察官に対する昭和四八年二月二七日付供述調書)ほどであった。つぎに、これら支払手数料はいずれも各受取人たる「弁理士」の側において、経費ゼロの事業所得つまり受取額全額がそのまま課税所得金額として申告されているのである。それぞれの「弁理士」がすでに相当額の所得を有していたので、大津も述べている如く、「この支払手数料の計上によって軽くなる税金の額は五百万位にしかならないという計算をしたこと」がある位である(同人の検察官に対する昭和四八年二月一四日付供述調書第五項の末尾部分)。

四、ところで、これまでくり返し述べた如く、被告人は昭和四五年二月一四日のいわゆるラグナー関係の「その他直接費の計上」を最後に、一切の不正経理を意識的に廃止した。すなわち、大津の発案で、それまでに行なっていた特許事務所の事業の中、翻訳、タイプ、印刷等の本来の弁理士の業務以外の部門を独立させ、これらをすべて昭和四五年二月二三日に設立した有限会社浅村技術サービスに委ねることとし、右有限会社の設立以後は、一切の不正経理を意識的に廃止したのである。大津の検察官に対する昭和四八年二月一四日付供述調書第二項の末尾部分(五枚目裏終りから五行目より六枚目裏終りから二行目まで)にも次の如き供述があることに留意すべきである。「四五年初めでやめた理由は、その年の二月、有限会社浅村技術サービス‥‥(中略)‥‥が発足し、弁理士業務に附帯する翻訳、製図、タイプ、印刷といった事務を浅村事務所から切り離し、事務所で受けた仕事をこの法人にやらせて、それに対し依頼者からとるようなかなりの金額を法人に支払い、それを浅村の経費として落すことによって弁理士浅村の所得のかなりの部分を浅村技術サービスの所得とすることによって、浅村個人に対する高率の累進課税をある程度免れることが出来るようになったので、このラグナーに対する架空の支払いという方法による脱税をしなくてすむようになったからです。」

五、そして右有限会社の設立以後は、同有限会社に対する前記各業務の委託発注によって、被告人の所得税の節税を図る外、同じく合法的節税方法と信じて疑わなかった本件支払手数料の計上をひきつづき実行していたのである。大津の検察官に対する昭和四八年二月一四日付供述調書第六項の末尾部分(一九枚目裏初めから四行目より二〇枚目表終りから四行目)にも次の如き供述があることに留意すべきである。「私自身この支払手数というものは手数料自体はまさに架空のものでありますが、しかし受取った方は給与を受取ったのと同じように所得税を、たとえ所長が負担しているにしても、支払っており、親子が一諸になって働いて高い所得を得ているのに税法上、所長一人に所得が集中し、そのため高い税率の適用を受けることを避けるため親子の間に所得をうまく分散するという方法であって、事務所のためよいことをしたと思っています。」

六、以上述べたことは、要するに本件に顕われた各証拠による限り、被告人には、本件支払手数料の計上につきいわゆる逋脱の故意が存しなかったことが明らかであるということである。しかるに原判決は、原審において弁護人のこの点に関する証人申請(家森および大津)を斥けたばかりか、特段の事実調べもないままに、本件支払手数料の計上を、「故意に所得を隠匿する行為」の一つであった旨を認定したのである。原判決には、判決に影響を及ぼすべき審理不尽ないし理由齟齬の違法が存するゆえんである。原判決は当然に破棄さるべきものと信ずる。

第三点 原判決には、昭和四五年分のいわゆるその他直接費の計上による逋脱所得の認定において、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一、すでに前記上告理由第一点および第二点において述べた如く、いわゆるその他直接費の計上は、昭和四五年二月一四日の分を最後として、以後は全く廃止された。すなわち、第一審における検察官の冒頭陳述書も述べる如く、「米国のラグナー特許事務所に、米国における特許出願手続を依頼したごとく仮装して、同事務所に支払ったもののように計上した架空経費」は昭和四四年分が七八、四五〇、〇〇〇円、昭和四五年分が四、五五〇、〇〇〇円である。これらの中、昭和四四年分は、現に所得逋脱の結果を生じていることは、被告人も第一審以来認めてきたところであり、現に税務当局による重加算税の対象ともなっている。

二、問題は昭和四五年分の四、五五〇、〇〇〇円である。すでに第一審公判廷(昭和四九年一〇月一七日)における証人立野稔治の供述によっても明らかな如く、この四、五五〇、〇〇〇円は、ラグナーに対する架空未払費用(未払金)二八、八〇〇、〇〇〇円を消去したことによる結果と相殺されてしかるべきものである。すなわち、前記上告理由第一点の七の(四)において指摘した如く、昭和四五年の期首に計上されていた二八、八〇〇、〇〇〇円のラグナーに対する架空未払金が、同年の期末にはその全額が消去されているという事実がある。そもそもこの未払費用(未払金)の計上とその他直接費の計上とは、共にラグナー特許事務所に対する架空経費の計上という点で、全く同一のものである。すなわち、原判決も判示する如く(原判決二〇枚目裏終りから五より二一枚目表初めから五行目)、「大津は、前記認定のように、被告人から昭和三一年ころ架空、水増経費の計上などの指示を受け、その具体的方法を検討した末、米国ラグナー弁理士事務所に対して実際には米国での工業所有権の出願手続を依頼した事実は全くなかったのに、同事務所へ出願手続を依頼し、これに対する手数料を送金した形式で出金伝票を作成して記帳し、被告人にその出金相当額を現金または貸付信託などにして渡したうえ、決算において、これを『その他直接費』あるいは『未払金』の勘定科目で架空経費を計上していたものである。」なるほど、税務当局による重加算税の賦課に際しては、あたかも両者が別個独立であるかの如くに取扱われているが、これはたまたま一方において、その他直接費四、五五〇、〇〇〇円の計上が、弁第二号証の一による重加算税賦課決定の対象とされ、他方において、未払費用(未払金)の期首計上分を期末に消去した結果は、弁第二号証の二による重加算税賦課決定において、単に重加算税対象所得のマイナス項目とされたという技術的ミスなのである。前記証人立野稔治もこの技術的ミスの存在を認め、次の如く供述していることに留意すべきである。「弁護人が言われるとおり、当初から出ていれば、これは、まあ、同じ科目だとすれば相殺勘定になるかもわからないです。」つまり、弁第二号証の二において、未払費用(未払金)の期末消去額二八、八〇〇、〇〇〇円は現実には、もともと別個独立の項目と考えられる支払手数料から差し引かれる結果となっているが、本来は同じラグナー関係の架空経費である前記四、五五〇、〇〇〇円から差し引かれるべきものである。右証人立野稔治もこの理を認めている。

(弁護人の質問)

「そうしますと、先程申し上げました ラグナーの昭和四五年に関して二、八八〇万円の未払金を一時に落としてしまったということが どこに影響してくるかというと 本件の場合、弁二-二号証にはその二、八八〇万円だけは いわゆる三名に対する支払手数料の分から差引いてある、いわゆる相殺してある。しかし、もし 先程のお話を入れますと 弁二-一号証の四五五万円と一諸に 例えば申告とか あるいは 何か あったとするならば それは 当然四五五万のほうにも影響を及ぼす。つまり それと 相殺された筈であると。それはよろしいですか。」

(証人立野の回答)

「そうです。」

三、ところで、原判決は、第一審とは異なって、「被告人が行なった過少申告そのもの」ではなく、個々の「故意に所得を隠匿する行為」をもって、所得税法第二三八条にいわゆる「偽りその他不正の行為」と解していることは、すでに前記上告理由第一点において考察したところである。従って、「その他直接費の計上」および「未払費用(未払金)の計上」は共にラグナー特許事務所を利用した架空経費の計上として、一個の「故意に所得を隠匿する行為」に該当する筈である。そうだとすれば、すでに述べたところから明らかな如く、かかる「故意に所得を隠匿する行為」から、現実には、「所得を隠匿した結果」が生じていないことになる。つまり、昭和四五年分に関する限り、いわゆる直接費の計上による逋脱所得は皆無なのである。

四、以上要するに、原判決が、昭和四五年分のいわゆるその他直接費の計上による逋脱所得を四、五五〇、〇〇〇円と認定したことは重大なる事実誤認を犯したものといわざるを得ない。この点においても原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

以上

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